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「能装束の美」観世流若手能楽師吉田篤史による体験と鑑賞
精力的な継承活動を行う能楽師吉田篤史による、能楽の世界をやさしく紐解いた分かりやすい解説をお聞きいただけます。
謡と舞の体験に加えて、能装束(衣装と面)についての解説と、演者3名による着付けの実演をご覧いただけます。
体験とともに能装束の美をご堪能いただきます。
観世流能楽師 吉田篤史
プロフィール
日本能楽会会員(重要文化財総合認定保持者)公益社団法人能楽協会所属
井上裕久師に師事。
1974年生まれ、3歳「鞍馬天狗」花見にて初舞台。
同志社大学在学中に井上師の内弟子として修行を重ねる。
2003年に独立、演能を続ける一方で、三代目吉田嘉謡社社主として、京都など8箇所にて謡曲、仕舞の指導を行うなど
精力的に活動する若手能楽師である。
観世流は、現存する能の流派のひとつであり、その原型こそ能楽の起源である。南北朝時代(1336〜1392)大和(現奈良県)で活動していた猿楽芸能の一座・結崎座の大夫(座を代表する役者)を勤めていた観阿弥清次(1333~1384)が観世流の初代となる。観阿弥は、息子の世阿弥(1364~1444)とともに京都に進出し時の室町幕府三代将軍足利義満に認められ、その庇護のもと各地に勢力を伸ばす。都の貴族文化を吸収した観世座の能は、観阿弥、世阿弥父子の手によって芸能としてより洗練された深みを増してゆく。観阿弥の後を継ぎ、二世観世大夫となった世阿弥は、「風姿花伝」などの芸能論を著し、能を深遠な人間論と哲学に貫かれた芸術に高めた大成者である。能は、省略を美とする演劇と評される。一枝の桜の造花で全山の桜を表し、枠組みだけで舟を表現したり、具象的なものを徹底して捨て去ることで余白をつくり、余白に物語らせる。観る人の想像力に訴え、純粋な情念の世界を魅せる。日本画や茶道にも見られる手法であるがそれこそが日本の美の精神である。
謡と舞の体験に加えて、能装束(衣装と面)についての解説と、演者3名による着付けの実演をご覧いただけます。
体験とともに能装束の美をご堪能いただきます。
観世流能楽師 吉田篤史
プロフィール
日本能楽会会員(重要文化財総合認定保持者)公益社団法人能楽協会所属
井上裕久師に師事。
1974年生まれ、3歳「鞍馬天狗」花見にて初舞台。
同志社大学在学中に井上師の内弟子として修行を重ねる。
2003年に独立、演能を続ける一方で、三代目吉田嘉謡社社主として、京都など8箇所にて謡曲、仕舞の指導を行うなど
精力的に活動する若手能楽師である。
観世流は、現存する能の流派のひとつであり、その原型こそ能楽の起源である。南北朝時代(1336〜1392)大和(現奈良県)で活動していた猿楽芸能の一座・結崎座の大夫(座を代表する役者)を勤めていた観阿弥清次(1333~1384)が観世流の初代となる。観阿弥は、息子の世阿弥(1364~1444)とともに京都に進出し時の室町幕府三代将軍足利義満に認められ、その庇護のもと各地に勢力を伸ばす。都の貴族文化を吸収した観世座の能は、観阿弥、世阿弥父子の手によって芸能としてより洗練された深みを増してゆく。観阿弥の後を継ぎ、二世観世大夫となった世阿弥は、「風姿花伝」などの芸能論を著し、能を深遠な人間論と哲学に貫かれた芸術に高めた大成者である。能は、省略を美とする演劇と評される。一枝の桜の造花で全山の桜を表し、枠組みだけで舟を表現したり、具象的なものを徹底して捨て去ることで余白をつくり、余白に物語らせる。観る人の想像力に訴え、純粋な情念の世界を魅せる。日本画や茶道にも見られる手法であるがそれこそが日本の美の精神である。